BARHardi ブログ支店

北新地のバーアルディです。アルディ オルジュの裏店舗です。

あの日私は…

こんにちは

池田です

 

 

土曜日に大阪の新規感染者数が3692名というニュースを見て、

こりゃあ、週明けには5千人超えるよなー、

月曜日は少ないから火曜日くらいかなぁー、

なんて話してましたが、

さらに超えてきましたねぇ。。。

 

もはや、マンボウなど意味がない気がしてならないのですが…😓

今回はマジで悩みます。

 

 

 

 

 

さて、昨日

阪神淡路大震災から27年ということで

SNSなどで「あのとき私は何をしていた」という内容のコメントをたくさん見ました。

 

ので、

「1995年1月17日5:46に私は何をしていたか」。

当時、高校2年生で滋賀県の実家に住んでいた私は、

 

 

 

 

偶然起きていました。

 

 

 

 

 

今から思えば胸騒ぎだったのか何なのか。

 

地震の何分前なのか分からないのですが、

トイレに行きたくて目覚めました。

(自分の部屋で一人で寝てた)

 

寒くて布団から出たくないし、

もう1回寝て誤魔化そう!と

→もう1度寝る

→めっちゃトイレを探す夢を見る

→どこも混んでて入れない

→どうしようー💦となって目覚める

→5〜10分程度しか経っていない

 

というのを確か2セットほど繰り返していました。

 

最後に目覚めたときに、

そろそろ諦めてトイレに行こうかなぁ〜…

寒いし嫌だな……と

ベットに横になったまま、カーテンの隙間から空を見ながら考えていました。

 

 

すると空にオレンジの稲妻のようなものが見えたのです。

縦方向では無く、横方向のもの。

 

 

ん、何!?見間違いかな!?

 

 

と思ったすぐ後くらいに

天井にピシピシッと音が走り、揺れ始めました。

 

地震や」

 

と思い、布団に入ったまま、揺れがおさまるのを待ちました。

 

 

 

…けど、全然止まらない。。。

 

 

 

滋賀県(中でもうちは三重県に近いあたり)ではそう震度は高くなかったのですが、なんと言っても長かった。

タンスの上のケースに入った日本人形を

ずっと見ていたのを覚えています。

 

 

さすがに怖い…

と思った頃に揺れがおさまり、

ホッとしていたら母親が

「大丈夫やったか!?」

と部屋に駆け込んできました。

 

 

多分、両親はすでに起きていたのだと思います。

私と姉の無事を確認すると、テレビで速報を確認しにいきました。

(ちなみに上の姉は旅行中で不在、下の姉は揺れがおさまったあと、もう1回寝たらしい)

 

 

どさくさに紛れてトイレに行こう…

 

 

と、ついに観念して

トイレに行ったのを覚えています。

 

 

 

そのときにはまだ震源地が明らかになっていませんでした。

部屋に戻ってもう1度寝て、次に起きた時にはもうテレビでは火事の長田区やぺちゃんこになった三ノ宮駅、倒れた高速道路の映像が映し出されていました…

 

 

そのとき私は、まだ神戸という街に行ったことがなかったので、全く知らない街の惨状を見ていました。

 

電車も通常通り運行されていたし、

通っていた高校にも被害は無かったそうで、

その日は普通に通学しました。

 

 

 

 

 

今となっては身近な街で

今現在、親しい方々も当時は被災されていたりと、とても身近な災害でしたが、

高校生の私にとっては

その深刻さを実感することは出来ませんでした。

 

もしもあの地震があと5年遅かったら、

私ももう大阪に住んでいたし、被害を受けたのかも知れないな、、とも思います。

 

 

ちなみに、あの日に見たオレンジの光ですが

私の他にもたくさんの方が目にされているようです。

サクッと調べた感じでは

原因は不明だけれども、地震直前の発光現象というのは昔からよくある事なのだそうです。

 

 

 

この前からチョコチョコ地震がありますし、

いま一度、我が家の防災グッズも確かめねばなりませんね。

 

 

 

 

という火曜日です…☺️

 

 

 

 

 

 

ああ、マンボウ嫌だなぁ…

 

 

 

 

ではまた!