みなさんこんばんは。
和菓子屋の息子、西林です。
知らない方多いと思います。
改めて見るといかつい我が家の玄関、、、。
東吉野村にある江戸後期より続く「御菓子司 西善」という老舗和菓子屋で育てられたわたくし宗善。
三兄弟の末っ子でよくワガママ言うてました。
だんご3兄弟の一番下やな、とよくバカにされていたのも懐かしいですね。
現在、長男が西善の2号店を奈良県の香芝市にオープンしました。
今はお客さん少ないと思いますが、普段は連日大盛況だそうで、よく全品売り切れになって早終いする投稿を上げていました。
流行っているみたいで良かったです。
1号店は父親の代を最後に、100年以上の歴史に幕が下りると思います。
ちなみに長男が1号店を継がないのは、立地と自治体の関係だと思います。父親大変そうにしてましたし。
気になる方はぜひ。
(僕経由での注文は一切受け付けていません。)
さて、本日は
Beginning
いつもおちゃらけた内容なので最後くらいは真面目に長めの話をして終わろうと思います。
バーテンダー西林、誕生から現在までのお話。
3年前、僕は「自分が本当にやりたいことは何なのか」という壁に直面しており、だらだらフリーターをしていました。
考えると、居酒屋のバイトで飲み物を作っている時は楽しいと思えたので、その道のプロであるバーテンダーはどんな仕事をしているのか、を知りたくなったのがきっかけでBARで働くことになりました。
初めて働いたBAR
奈良県桜井市にあるTHE SAILING BARというところでした。
働き始めはやはり衝撃的なことが多かったです。
え!?氷切ってる!?すげぇ!
バースプーンってそうやって使うんだぁ、、、へぇ、、、
うわ!シェイカー振ってる!すげぇ!
などなど、田舎もん丸出しの反応。
暇な時は先輩に教えてもらってステアの練習やシェイクの練習をよくしていました。
営業終わりになると自分の好きな飲み物を作って飲みながら雑談するのがいつもの流れ。
マスターはいつもタンカレージンリッキーを飲むので僕が練習がてらいつも作っていました。
その影響で僕の一番好きなカクテルはジンリッキーになってしまいました、、、。
そこでよくマスターはバーに関する知識、バーテンダーの心得みたいなことをよく私に話してくれました。
知識もなにもなかった僕には全て勉強になりましたし、感化されることがたくさんありました。
そんな日がつづき、ついに僕は
バーテンダーになりたい
と心から思うようになりました。
THE SAILING BARはそのとき社員を募集してて、マスターからも社員になってくれたら嬉しいと言われていましたが、
私にはそのとき付き合いたての大阪在住の彼女がいました。
何が問題なのかというと、彼女は土日休み、僕が社員になると平日休みになってしまい会う機会が無くなってしまうこと、そして距離がちょっと遠い。
結婚を前提に付き合っているので、会えないのは死活問題だなと思い、私はマスターに以上のことをちゃんと話して、
北新地(日曜休)の店紹介してください。
という雰囲気出しました。
(ちゃんと口に出してお願いしてなかった気がする、、、。)
それでマスターが動いてくれて、
BAR Hardiに就業させていただくことになりました。
THE SAILING BAR出勤最終日にしたマスターとの会話は今でも忘れません。
いま現在、大体でいいから何年後にどこで独立する予定なのか言って
と言われたので
10年以内に奈良で、、、香芝市のあたりで独立したいと思ってます。
分かった、約束な。
というなんてことない会話ですけど、その時の僕にはグッと来るものがあったので今でも鮮明に覚えています。
アルディに入って一年半以上経ちましたが、今でも独立するなら奈良でしようと思っています。
コンセプトはやはり、冒頭でも言った実家が和菓子屋なので、「和」を基調とした店が作れたら良いですね。
BAR Hardiキャンペーン
わたくし西林のキーワードは
「千」
です。
幾『千』の困難がこの先たくさんあるでしょうが、かつてのマスターとの約束を果たせるよう負けずに明日からまた精進いたします。
ここブログ支店では西林の「過去」を紹介していますが、本店では西林の「これから」をお客様皆様に温かい目で見守っていただけると嬉しいです。
文字ばっかりで長いのにお読みいただいてありがとうございます。
明日からまた、頑張っていきます!
えー、最後に。
自分の持てる力振り絞って、ええこと言うてる風に言葉選んだり、うまいと思う言い回ししてみたり、、、
頑張って感動チックなラストにしようと思ったんですけど、、、
僕には無理
ブログって難しいですね✨
タイトルの時点でちょっとカッコつけすぎたかな、、、。
なんやねんBeginningって、、、。
結論:締め悪い
西林